ー 鴻池さんは、研井さんに質問はありますか?
鴻池:自分はやっぱり今、自信がなくて。もしかしたら研井さんが過去に陥っていた状態と同じなのかもしれませんが、カッコイイことをやってると思いつつも、それが果たして世間に受け入れられるのか自信がなくて……。
研井:自信がないっていうなら言うけど、遼君は間違ってない。遼君には絶対的な価値があって。それはもう、うまく言えないけどそうなんだよ。僕は自分が一番正しいと思っていて。なぜなら音楽に対して、向き合っているものに対して自分が一番真正面から向き合ってるという自信があるから。
ー なるほど。研井さんのその自信は、「心を開くこと」「誤解のない伝え方を模索すること」に取り組んできた賜物だと思います。
研井:伝えようとしているのに伝わらないと、やっぱり傷つくわけじゃないですか。それで「じゃあ、どうしたらいいんだろう」って落ち込んで考えることが、同じ温度でコミュニケーションを取るという変革に繫がったのかな、と。でもやっぱり自分が好きなのは、「ぐちゃ」ってなっていて「今僕ぐちゃってなってるでしょ?」「なってるぜ!」っていう感覚で。
ー それはつまり、言葉を超えた感覚的共鳴というイメージですか?
研井:そうです。そういうところを分かってもらえないと「この人今なんで怒ってるの?」と、なってしまう。そういう感覚を共有できていないと意味が誤解されちゃうから。ひいてはとロックが誤解されたら悲しいから。デカイ音で俺は感謝をしたいわけ。でもうるさいってしか思ってもらえなかったら祈りの表現も変わってくるとおもうから
ー シャットアウトされてしまえば終わりですからね。だからこそ、皆に届くものでありたい、と。
研井:絶対そう。皆にあるものじゃないと、絶対おかしいから。
鴻池:共有したい、ってことですよね。
研井:そう。でもそれは絶対間違ってない。なんとかこれは間違わずにやってこれたと思う。あとはもう、目の前の人を信用しますね。それが強み。
ー それが研井さんの表現者としての自負なんですね。
研井:そう。その為にもまずは自分で自身を持って「これカッコイイでしょ?」って言えるようになった。
鴻池:なるほど……。やっぱり研井さんは俺の考えていることの先を行ってますね。自分の表現に対して自信を持てるというのはすごいことですよね。そういう人にはやっぱり人がついてくるし、これからもっともっと上に行くんだと思う。
研井:今の感覚って自分に対してエゴであるという感覚なんです。遼君は頭の中の情報量が半端ないから、遼君にとって気持ち良いか分からないけど……。
ー それは誤解なく伝える方法を見つけられた瞬間が研井さんにはあって、そこに気付くと、より素直に表現を突き詰めていけるという感覚?
研井:そう。僕の場合は。
鴻池:なるほど。俺が研井さんに感じるダークな部分とかも、きっとすごく自然なもので。そういう意味では今作では俺も出すものは出したな、という感はあります。